県外に住む父とのお別れが、急にやってきました。
昨年12月に、老衰でそろそろ危ないとは聞いていましたが、持ち直し、それなりに元気に暮らしていました。
父の兄弟も、私も弟も、100歳越えまで大丈夫かも知れないと思ってました。
これまでに何度も、危険な状態がありながら命拾いした人生。
別れは本当に突然やってくるのですね。
97歳で、旅立ちました。
父は約40年前から、献体を希望していました。
当時脳の手術でお世話になった大学病院へ、医学の発展に役立てて欲しいと。
私が、実際に聞いたのは25年位前だったでしょうか?
葬儀は出さなくて良いから、担当部署に連絡するように
と
私と娘は聞いていましたが、突然のことで驚きそれ以上を聞けなかった。
しかし、献体の場合は通常の葬儀と異なります。
事前に弟と話し合ってはいました。
しかし父は、田舎の本家の長男
どの様にするのが父の希望に近いのか。
最初に私が聞いたときに、もっと詳しく聞いておくべきでした。
この2年ほどは、足の不自由と認知症もあり、施設で過ごしておりました。
認知症の本人に確認を取ることは難しく、弟は葬儀を希望しない話は聞いていないとの事。
献体という通常と異なる経緯の葬儀になるので、事前にお坊さん、葬儀社さん、施設の方と相談をしておおよそを決めてくれてました。
お坊さんの見解は、本家の長男さんなので、葬儀を出された方が良いでしょうとなりました。
親族の皆が事前に聞き納得していたのなら、葬儀を出さない方法を選んだかもしれません。しかし地元に住む弟としては葬儀なしは考えられず、家族葬での葬儀に決めました。
家族葬とは言え、父の兄弟、その子供も集まりましたので、私の思う家族葬とは異なりました。
その上、地元新聞の訃報欄への掲載までお願いしたらしく、知らせていない親戚からも連絡があり、私は驚くばかり。
直近、親戚数人の葬儀があり弟はそれに習った様です。
地元の付き合いは、地元の人にお任せするしかありません。
葬儀そのものは、普通に執り行われました。
その後、父の髪と爪を少し切り、小さな骨壷に入れ弟が受け取りました。
棺には、お花を入れられないと思ってましたが、少しなら入れても大丈夫。
あとで取りますのでと、顔まわりにお花を入れて。
その後、大学手配の葬儀社の搬送車にての出棺を親族一同で見送りました。
色々あり、コロナ禍仕様のお別れではありましたが、お別れができました。
火葬されて、遺骨が戻ってくるのは早くても2年後。
それまでは、髪と爪の入った小さな骨壷で、法要を行う事になります。
父の望み通りでは無かったかもしれませんが、親族も納得できる葬儀を出すことができホッとしています。
覚悟はしていましたが、やっぱりもう会えないのはとても寂しい。
コロナ禍で制限があり、介護施設の建物の中と外というガラス越し面会しかできていませんでした。
暖かい手を握ることも、何も出来なかったのが残念です。