「ランチしよう」って
社交辞令なのかな?と思う。
特に最近そう思いました。
コロナ禍以降疎遠になってる友達。
少し離れた場所に住んでる友達とは、用事がある時以外は積極的に会わなかった私。
交友関係が広い人と会うのが怖かった。
離れてると言っても車で30分程度。
そろそろ会いたいと思って連絡したのですが、話が前に進まない。
何故なんだろう??
と考えました。
もしかして、ランチは社交辞令だった?
最近疎遠になってるからねぇ。
社交辞令なんて言わなくても良いのに!と思います。
友達付き合いを止める必要もないけど、「今度ランチに行こう」がむなしい。
無理して時間を作ってまで会いたいと思わない関係なら無理しなくていい。
ランチしようと言われ続けていたので、こちらから具体的に誘ったのですが・・・・・
無理だったらしい
で
友人:こっち方面に来る時があれば声かけてよ
私 :突然じゃ無理じゃないの?
なんか無理っぽい!
けどねぇ、本当に会おうと思えば
◯◯頃までは忙しいけど、それ以降なら会えるよ
とか
日にち決めちゃおうよ!と具体的に決めるんですけどねぇ
やっと気づきました。
先の約束までするつもりないのかな?
その時、空いてれば行ってもいい
そんな感じなんだと思う。
私も今はフリーだけど、会えるかも知れないからと先のスケジュールを空けておくつもりもない。
お互いに会うのは無理そうな気がします。
よく考えると、仕事を辞めて
環境が違い、お互いの共通点が無い。
趣味も全く違うので、話を聞いても分からない。
刺激を受けたり、見習いたいような事もない。
これじゃあ、積極的に時間を作って会いたいとも思わない。
社交辞令だったの?と思ってから
色々考えてそんな結論に至った。
多分相手もそう。
そんな友達がもう一人いる。
結構無理に相手に合わせて、時間を作るってシンドイよね。
社交辞令言わなくても良いのにねぇ。
残り人生が短くなり、やりたい事が沢山残ってる。
けれど、若い頃より動きが鈍くフットワークも重くなった。
お互いに、ゆっくりしかできない。
だから、これから先はもっともっと疎遠になると思う。
近くの友達は、趣味や考え方などが近いと
以前より親しくなれた。
違うところは、尊重・尊敬、教えてもらったり助けてもらったり、私からは何も無いかも知れない。むしろ買い被られてる気がする。
歳を取ると身体機能が落ちて行動範囲が狭まり、遠くの友達と会うのはエネルギーもいる。
近いと、お互いに柔軟に行動できる。
遠くの友達より、近くの友達だな!!と思った次第です。