曇り空から青空に!

老いて身体が多少不自由でも、楽しまなくちゃ人生は一度きり。最後は笑顔でありがとうと終われるように

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オムツでの2週間は辛かった

入院中は色々ありすぎて、何から書けば良いのか・・・・

意識はしっかり、頭もボケていないし、ヘルニア以外は悪いところはありませんが、結構覚えていないものです。

入院後少し落ち着いてからメモしていたことや、娘にLINEしていたことなどから書きます。

今日は、オムツ体験記です。

お決まりのごとく、受け入れ先病院が決まるまでは、救急車は家の前にしばらく止まっていました。 ヘルニアで通院していた病院は、入院施設がなく診察時間も終わっているので無理です。 4年前に腰の手術をした病院へも確認してもらいましたが、半年前に行ったきりですしヘルニアでの受け入れは無理でした。

結局隣の市の総合病院へ行き、痛み止めの処置をしてもらって帰るつもりでした。 しかし、じっとしていると痛みは治まったのですが、起きようとすると激痛。 症状は「痛みで動けない」 2〜3日入院して帰りますか!! となりました。 他にも血圧が高く、減塩食で管理されました。

入院翌日の、減塩串刺し食です。 醤油が控えめなのか、ほとんど色のない白っぽい食事。 起き上がれないので、ベッドで横向きになって食べました。 器用に串に刺してあるので、感動して写真撮りました。 (ペットボトルのお茶は病院食ではありません)

娘は、最初から最低限の入院の準備をして駆けつけてくれたようです。

LINEでのやり取りはしているのですが、振り返ってもはっきりとした記憶がありません。 気付いたら、色々揃っていました。 病衣がありますが、はだけるので娘のタンクトップを借りました。その他は貸してくれたり購入して準備してくれたり。 コンパクトにまとめて完璧でした。

パンツだけは貸せないから、とおばさん向けのパンツを購入してくれました。 お店で写真を撮って、これでいい?とLINEで送ってくれたので、助かりました。

11月7日(火)の夜入院して、11月22日(水)にヘルニアの手術をしましたが、それまでの2週間全く起き上がることができず、寝たまま。

寝たままで横を向くことは出来ました。

まずトイレが問題です。

起き上がれないので、車椅子利用もできず、トイレに行けませんからオムツです。 オムツの中に、出していいと言われても出せません。 脳が出してはいけないと拒否します。 出したいのに看護師がそばにいると余計に出ません。

少し時間を下さいと、外に出てもらい、意志と格闘して排尿しました。 その後は尿道カテーテルを付けてもらったので、尿の心配は無くなりましたが、意識がしっかりある中でカテーテルを付けたのは初めてです。 恥ずかしいなんて言ってられません。

オムツや尿道カテーテル全身麻酔での手術後には付いているかと思いますが、自分の意識のない中で作業され、意識が戻ったら付いていた。 翌日から車椅子や歩行器などを使ってトイレに行く場合が多いと思います。

私の場合は意識がありボケてもいないけれど、激痛で起き上がれないのでオムツ。

最大の問題、排便です。 差し込み便器(寝たままお尻の下に入れる小さな便器)も一度試しましたが、右側の臀部が一番痛いので差し込み便器の使用は無理でした

オムツの中にするしかないのですが、寝たままでは出ません。

腸を動かす薬や浣腸も行いましたが、スッキリ出ません。 最終的には摘便で出してもらいました。

本当に苦しくて、手術までの2週間の間、何度も摘便してもらいました。 産みの苦しみに近い苦しみでした。 腸は動いているのに出ない、出せない、出きらない。 このような状態で2週間。

初めてのオムツで寝たきりでしたので、蒸れます。 おまけに、防水シートが腰の部分にあったと思いますが、汚れていないオムツでも付けているだけで蒸れて暑苦しく不快でした。

ずっと、仕切りのカーテンと天井を見て過ごしました。 検査の移動もストレッチャーなので、病院内も天井と視野に入るだけ。 入浴も寝たまま、ストレッチャーの様な上下左右が立ち上がり、その中にシャワーで湯を貯めて体を洗ってもらいました。

勿論恥ずかしさはありますが、それよりも激痛で何も出来ないのですから、やってもらえる事がありがたかった。

その間は、通院していた病院からのデータ待ちの期間や痛み止め点滴、痛み止め飲み薬、ミエログラフィー・神経根ブロック注射を3回受けましたが痛みは変わらず、11月22日にヘルニア摘出手術を受けました。

勿論手術後もオムツを付けていますが、手術前には浣腸していますのでオムツの中にすることはありませんし、これは順調に外れていきますので、術後にオムツで苦しむことはありませんでした。